2012年9月30日日曜日

東北へ



今年は残暑がしつこく、イヌ達は散歩のみの孤独な日々が長く続きました。
また、9月はとても忙しい月で家の中でも彼等は放ったらかしで、下旬にやっと涼しくなっても相変わらず散歩だけでした。
イヌ達にとって退屈な日々ばかりでしたが、月の終わりにやっとお客さんがやって来ましたよ。それも毛深いのが。
ミンモの嬉しょんがとても心配でしたが、なんとかクリアできました。

今回の毛深いお客さんは二本足で歩きます。宿が転々と変わって河原乞食の様だったのですが、やたら荷物だけは多く、荷物を置きがてら泊りに来ました。私の古〜い古〜い友人達で、歳も私と同様それなりに古い。

また、東日本大震災に因る被災地の状況を確かめたいとの事で、いわき市、そして双葉郡の行ける所まで日帰りで行って来ました。

いわき市の北の終わり辺りに父の実家はあります。町のちょうど真ん中辺りが福島第一原発から30km。
父は男のくせしてこの町に分骨されています。彼は9番目の子供でみんなに甘やかされ、この土地をこよなく愛していました。なにか問題にぶち当たるとふらりと帰ってねぇちゃんにぃちゃん達(婆さんも居ましたよ、彼女は100までしっかり生きたので父の方が先に逝った。)に甘える場所で、分骨は母が決めたのです。今回はお彼岸の時期でもあったので彼の実家に寄ってみました。でも、墓には行きませんでした。元々墓を持つことに私があまり意味を見いだせないことと、今年に入って本家の従兄が亡くなり、葬式に行った時に墓には行ったのですが、被災者が未だ不安だらけの日々を送る中、どこもかしこも墓石だけはみごとに奇麗に直しているのを見て辛くなってしまったから。生きてる人間よか死者の方が大事なの?って。こういうのは罰当たりと言われるんでしょうが、これが私の正直な気持ちです。
もちろん、父のノドボトケの入った墓には定期的には行ってます。お掃除しにね。ブタクサを生えさせて霊園一ばっちくして迷惑をかけないようにとの思いはあるのです。花は持っていきますが、汚れるから線香は焚かない。線香自体家にもありません。母は線香と、坊主の意味の分からぬむにゃむにゃが嫌でプロテスタントになりました。で、更に私は宗教儀式や墓掃除の煩わしさを思うと私の時は葬式するな、イヌ達と一緒に七つの海に灰をばら撒けばよろしい、墓に入れたら恨んで出るぞと周りを脅しています。

話が逸れてしまいましたが、父の実家は浜から2軒目。母屋だけは被害が少なかったため(それでも壁が一部抜けっちゃったりもしていましたが...)、最近リフォームして従兄の妻が住み始めました。多分、海側にあった蔵が守ってくれたのでしょう。それ以外の建物、離れとかふたつあった蔵とかは全部駄目でした。また、浜側に在った五右衛門風呂の風呂場も、イチジクの木の脇に在った夜とっても恐ろしい外便所もなくなってしまったので、ばかでかかった台所・食堂の一部を使って内風呂、内便所ができていました。仏間兼茶の間の天井はリフォーム職人さんの脚立を借りて従兄の妻が丹念に磨いて黒光りしていました。彼女68歳、女は逞しい。
ただ、後5年程度しかそこには居られないそうです。浜沿いは緑地帯になる計画が決定しているのです。周りの家々は殆どありませんし住んでいる人は僅か。もう恐ろしくて帰って来たくはないとのこと。従兄達は地震後すぐ内陸側に逃げたのですが、隣のおばちゃんとかは避難のためにお召し替えなんぞをしてたもんだから怖い目に遭ったそうです。更に信じられないことにやはり隣のおじちゃん...  地震がおさまってのんきに散歩に出ようと準備していたところ、発電機が出すようなどっどっどっという音と共に隣の家の屋根が動いて行くのを見て泡食って、潮が一旦引くまで待ってやっと逃げ出したなんて話も聞きました。無事だったからよかったものの、全く笑える話ではありません。
突然尋ねて行ったのですが、上がり込んでおはぎをご馳走になりました。昨年、東京組従兄弟達と親戚巡りをした時も、何の連絡も入れずに突然何軒も突撃したのでそれが流儀なのかと思い、私も今回真似してみました(笑) 彼女とは震災後の昨年夏、神奈川県内に避難していた時にやっと会えましたが、今回初めて色んな話ができました。別れ際、従兄の長男から会津の酒をもらいました。父の実家は酒屋なのです。天井まで拭いて頑張った従兄の嫁さんからは "津波ワインだぁ、持ってくかぁ〜" と言われ潮を被って砂だらけのボトルを2本ばかり頂戴しました。良いやつは泥棒に持って行かれてしまったそうです。ただ、私としては残念ながらカンパ〜イなんて飲む気にはなれないし、これからも手を付けることはないでしょう。

7年前に行った時に浜で拾って来た石達と。




従兄の長男に是非行って来いと勧められ、その後国道6号を行ける所まで北上。富岡町手前の楢葉町の検問所でUターン。正直、緊張しました...  


町には立ち寄りませんでした。ここは8月に警戒区域解除となっていますが、まだ除染作業の真っ最中の避難指示解除準備区域です。国道沿いのコンビニは除染作業の人達でごった返していました。


因に ↓ の画像は経済産業省が7月31日に発表した避難指示区域と警戒区域の概念図です。



ひとつだけ寄った町は楢葉町の南に位置する広野町でした。第一原発からは22km。

"今は山中、今は浜〜♪ "  の広野町です。今年3月末日に避難指示が解除されましたが、まだここも除染中。ここは9割近くの住民は戻っていないとのこと。子供は先ず居ません、お年寄りのみだそうです。今年8月をもって賠償の打ち切りを政府は決めたと記憶しているのですが、どうやってここに住めと言えるのか...


河口沿いの木々は潮に浸かって枯れたのでしょうか。

舗装が寸断されています。

この道も...
左が街で右が海。
左端にぴょこんと立っているのは広野火力発電所の煙突です。
手前の水溜まりはもちろん水田ではありません。
海水を抜くのを諦めたんでしょうか...  じゃぶじゃぶです。
この日はずっと雨に見舞われ海も大荒れ、悲しいったらありません。町内放送で各地域のその日の線量を知らせるアナウンスが夕暮れ時に流れていました。



イヌ達にとってもちょっとは楽しい事もあったので書き始めたけど、書いているうちに東北レポートになってしまいました。立て直しがきかないのでタイトル変えてこれでおしまい。

   
 



そうそう、今、毛深い人の集団の展覧会を川崎市民ミュージアムでやっています。映像インスタレーション作品なのですが、子供も大人も楽しめるインタラクションの施された素敵な展覧会です。時間があったら足を運んでみて下さい。11月4日まで。

2012年9月7日金曜日

左右非対称





ミンモの顔。
白黒柄はぱっと見左右対称です。でも、こんなに違うの?ってパーツがあります。
彼の顔を見ていると、母方の祖父を思い出します。顔の半分が凍傷になりかけたことがあったそうで、それ以来神経の伝わり方が右と左で違ってしまい、目尻や口角の高さ、頬の垂れ具合、動きが微妙に違いました。ミンモの顔には似た所があります。お母さんのお腹の中に居る時にあまり動かず寝癖でもついたんでしょうか。
爺さん!私はあんたの初の女の孫bun子ですよ、随分と毛深くなりましたねっとミンモに話しかけたくなることもあります。




以下、左右違う箇所。
上唇と下唇の芯が通ってません。上下の顎がずれているのかも。
左口タプがちょいと垂れ気味。
鼻の穴の形が違う。左がデカイ。

特に鼻。左は縦に窪みが長いので大きな影が鼻下にできちゃいます。このせいでミンモは片鼻からいつも鼻水垂らしてるみたいに見えてしまう。
あらまぁ、あの飼い主ったらいつもイヌを鼻垂れにさせて、拭いてあげれば良いのに...なんて思う人がいてもおかしくない。でも、殆どいつも乾いた鼻なのです。鼻水が出たとしても、すぐ飛ばしちゃうから垂れることはありません。
夏のプール合宿でトコさんにカミングアウトしたところ、これをエア鼻水と呼んでくれました。
 ↓ は決して美しいとは云えない部分のアップなので、意識して見ちゃうと気持ち悪くなる人もいるかも...








真剣そうにはどうしても見えない...   目はキリッとしているのにね。




最後の写真は  "これが私のミンモ"  という決め手になった1枚なのですが、他のコ達はとてもあどけない顔をして如何にも可愛いボステリアの仔犬だったのに対し、これだけがいやにふてぶてしく、そのくせ間抜けそうな空気を漂わせていました。これって彼の鼻力に因るものだったのかなと今は思います。
これを見て気付きましたが、仔犬の頃はホッペタってそんなに垂れてなかったんですね。唇もひん曲がってない。




ミンモの印象を一気に阿呆っぽくしてしまうのですが、私はこの鼻っ面廻りが大好きです。この白黒ヤンキーの顔は左右対称をわざと外す日本人の美意識をとってもくすぐるわっ、なんて思ったりもするのでした。